服の着方 セルジュ ゲンズブールという禁猟区

serge gainsbourg何をいまさら子どもでもあるまいし、服の着方など言うに及ばずかもしれない。ボタンの止め方、ファスナーの開閉の仕方、ネクタイの結び方をわかっていれば服は着られる。ごもっともである。

なぜ僕がこんな当たり前のことを書いているのかというと、服というものが自己と社会のインターフェイスだと意識している人とそうでない人とでは、着方に差が出るだろうなって、今朝シャツをグルカショーツにタックインしながらふと思ったから。

服の着方には、段階があると思う。まずは、普通にキメられること。いつどこでどう着るものなのか、基本のきをおさえたうえで、そのものの背景にある歴史と文化まで知識を持っている人なら、普通にキメられる。普通にキメることができない人が、“抜く”ことをできるわけがない。

次にその“抜く”だけれど、人によって方法はさまざまだろうが、一つフラット化があると思う。

たとえば、クラシックなテイラード スーツにストリートブランドのTシャツやスニーカー、あるいはアウトドアやスポーツブランドのアイテムを合わせるような。セレクトショップの上級者たちがやっているのを見かけることがあるが、そこに僕は、宮殿と街のストリートの間に階層はなく、同価値であるという考えの表明を見ることができる。

そして次の段階。それは、たかが服とでも言いたげで無造作なアティチュードではないだろうか。とくに好きなわけではないけれど、この芸当ができるアイコンとして思い浮かぶのは、セルジュ ゲンズブール。ブランドの権威などお構いなしに、わざとチープに着こなしてみせる。服に支配されることなどありえないと言わんばかりだが、つぶさに見てみれば、“されど”の表現者であることもわかる。

この域でスタイルを築いているのは、アーティストに多い。デイヴィッド ホックニーなどもその一人だろう。世界のアーティストと自分を比べるまでもなく、僕の場合、決定的なキャラ不足ということで、このあたりは自分から禁猟区としている。

serge gainsbourgPhotograph/LUPIN4TH